Yoko Ueda

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人生の21年目くらいまで、ぼくは海を意識していなかったし、海が好きかどうかなど考えてみたこともなかった。吸っている空気のことや、学校の先生が正しいなら、ぼくの主成分であるはずの水のことを、好きだったり好きじゃなかったりできるわけがない。海はいつもすぐそこにあったから、ぼくはどんな街も海のそばにある、くらいの感覚でいた。まさかそうじゃないとは思いもよらず。 海のない街に行ってみて、はじめて海を意識した。道がない街や家がない街を想像してみれば、ぼくがなにを言っているのか、わかると思う。 海は、慣れ親しんだぼくにとって、なくてはならないものだった。魚は、料理や缶詰、氷漬けにされたかたまりであるだけでなく、生きた存在で、顔見知りの近所のひとみたいなものだった。農村の住民にとっての牛のようなものなのかもしれない。魚は「家」畜ではない、という違いはあるが。 父は釣りに明け暮れていた。秋にはセリョトカ〔ニシン〕を、冬にはワカサギを、春にはカレイを釣る。遠出が面倒だったり、無理だったりするときには、歩いて「湾」に行った。わがウラジオストクの西端から波音を立てているアムール湾のことだ。父はぼくを連れて、ルースキー島や、少し遠出をしてスイフン川やレフー川まで行くこともあった(このふたつの川は1972年の反中国大キャンペーンの際に改称されて、その後はラズドリナヤ川、イリスタヤ川という名前になっているのだが、古くからの住民は新しい名前を受け入れようとしない)。さらに遠くへ行ったのは地質学の調査旅行のときで、石の数と同じくらい魚を見た。中国との国境のそばのレベジノエ塩湖でヨーロッパブナを釣ったり、レフー川で巨大なナマズや、まるで格闘家のような雷魚と格闘したり、氷のように冷たい海の水から、キュウリのにおいのするワカサギの群れを引き上げたり、ムール貝を餌に、脂ののった怠け者のカレイを釣ったりした。餌のムール貝は、マスクをして海に潜り、あらかじめ獲っておかねばならない。だから岩や貝殻で指が傷だらけになる。ちなみに、釣り人になるとはすなわち、いつもとは違う特別な生活スタイルで暮らすこと、釣りの場では状況次第で現実のだれかと関係を持つという選択をすることだ。 ふだんのぼくはそうした暮らしの周辺にいる。ぼくの部屋の窓はアムール湾に面している。向こう岸には青い丘があって、そこへは(そのあたりはほとんど中国なのだが)毎晩、真っ赤に燃えるグレープフルーツの球が、炎の巨人の頭がギロチンから転げ落ちるように、救いがたく、まっしぐらに沈んでいく。氷が張ると、石のように固くなった海の、砂糖をまぶしたような表面が、道路網――白い甲羅のうえの曲がりくねった黒い糸――に覆われる。糸には車庫の結び目ができる。いまや釣り人たちは車をたくさん持っているのだ。朝、夜明け前の時間帯に湾を眺めると、ぼくにはまだ見えていない氷の上を、赤や白のライトが鎖のように連なっていて、謎めいた「鬼火」か、あるいはソ連映画に出てくる秘密航路のようだ。しばらくすると湾が渋滞になる。いつだったか、ぼくもマガダンのゲルトネラの入江で、本物の氷上渋滞に遭遇したことがあった。軽の「腹擦車(プザチョールカ)」、日産サニーに乗った釣り人が、海と岸とを分かつ氷の丘を乗り越えることができずに途方に暮れている。高級日本車「クルーザー」も、情熱的なアメリカ車「タンドラ」も、それに軍とコルホーズ用の国産車「UAZ」も、ただ待つしかない状況だ。岸に上がれる場所は一箇所だけで、そこ以外を通って行こうというのは、それらの車でさえも不可能だった。 氷が「非アイス〔ガムの広告で使われた決まり文句〕」になると、右ハンドルの「タウン・アイス〔タウンエースのこと〕」と「クラウン」が、魚雷攻撃を受けた汽船のごとく氷の下に消えていく。ウラジオストク周辺の入江の底は、現代人、すなわち自動車化された人間の駐車場(あるいは車庫)だ。氷上走行に対しては、罰金を科す試みがなされることもあるのだが、それは所詮、道路を走っている車に罰金を科すのに等しい。車のほかにも、分厚い文化の層の底には、ルアーや網、掘削機があり(ウシ島のあたりにある掘削機は、ぼくの父が氷を割っているときに水中に落としてしまったものだ。氷の裂け目が広がっていくのを飛び越えて逃げるはめになった)、いまはそこに携帯電話も加わっている。現代の釣り人にはインターネットがあって、人気コミュニティサイト ulov.ru では情報交換が行われている。きのう、「ヴォエヴォドで」「マイハで」「アンバ川で」魚が釣れたかどうか。今シーズン、クロダイはどんな仕掛けを好んでいるか、チカはどうか。仕掛けを作るとき、針と針の間隔はどのくらいにするのが適切か。ゴカイの一番いいやつはどこで手に入るか、「デリカ」で氷上を移動するにはどこが安全か、「ゼリョンカ」へはどうやって行けばいいか、「デーエル」(かつて懲治部隊のいた場所だ)へはどうか。アムール湾のウラジオストクのはずれにあるスクレブツォヴォ島は、コヴリシカ〔小さな絨毯〕と呼ばれている。もう少しさきへ行くと、レチノイ島という名の島もあって、それは第2コヴリシカと呼ばれている。第1コヴリシカと第2コヴリシカのあいだの空間を、塩が染みついた裏皮のコートを着た、学位を持たない文学者たちが、スナイパーのように「コヴリシカの間の地」と名付けている。 ぼくの窓から、「入れ食い」のダイナミズムが起こる場所の変化に伴って生じる、釣り人群の湾内での氷上移動の様子が見える。だれかが魚を何匹か連続して釣ろうものなら、そばにいる釣り人たちは、そのひとのまわりを瞬時にドリルで穴だらけにする。そのあと、少し離れたところに立っていた釣り人たちが、場所を移動していく。ここでは心理学、あるいは社会学の法則すら機能している。鳥の群れや魚の群れの動きに酷似している。 いつの頃からか、頻繁でなくとも定期的に釣りに行きたいという欲求が、ぼくにも生まれてきた、あるいはもともとあったものが明るみに出たのかもしれない。こうした欲求には、いわゆる現代人にとって、なにか大事なものがあると思う。巨大で、しかも明確に認識できないものとの、わかりにくいけれども強いつながりを示しているのだ。それは自然か、宇宙か、神なのだろうか。街育ちのぼくには、ずっとわからなかったものだ。いまは、このつながりの存在がはっきりとわかる。釣りは、キメラと制約にまみれて暮らしているぼくを現実と結び合わせる、ほとんど唯一のものだ。 * * *   [……]辞書で見る「сельдь セリチ〔ニシン〕」はあまりにも学術的で、селёдка セリョトカ〔ニシン〕とロシア人の親密な関係は反映されていない。カルトフェリ〔ジャガイモ〕をだれもが「カルトシカ」と呼ぶように、ニシンも正式名称ではなく、愛称で呼ばれている。 かつてピョートル〔大帝〕がカルトシカで、ニキータ〔フルシチョフ〕がトウモロコシでやったように、生活が、河川文化のロシア人を海の魚に慣れさせるべく根気よく強いたのだった。 セリョトカとカルトシカ、どちらもロシアの基本的な食材として認知されるようになったのは比較的最近である。伝来元はヨーロッパ(ニシンの国オランダ、あるいは「セリチ」という言葉自体を借用したスウェーデン。とはいえ言葉の由来には異説もあって、たとえばアイスランド説もあり、また由緒正しいロシア語で、この魚が冷たい水を好み、氷から〔со льдаソ・リダ〕釣ったことによる、という説もある)と、アメリカだ。それらは、それぞれエチオピア人、スコットランド人の末裔であるプーシキンとレールモントフと同じく、急速にすっかりロシア化し、そしてまぎれもなくロシア国民の形成と発展に寄与しているところも、やはりプーシキンとレールモントフと同じだ。おまけに、セリョトカはウォッカ〔ロシア語発音ではウォトカ〕との相性がよく、音声的にも韻を踏んでいる(ウォッカもロシアではなくポーランド原産のはずだが、いまやそんなことはだれも信じないだろう)。もはや「毛皮を着たニシン(セリョトカ・ポト・シューボイ)」以上に大陸的で中部ロシア的な料理は思いつかない(なお、ぼくはこの「毛皮」〔ジャガイモと赤カブでできている〕を絶対に食べない。毛皮部分は価値のないものとして剥がし、中身のニシンだけを食べていた)。 そういえば、カブなんかはもうとっくのむかしにロシアのソウルフードではなくなっている。他方、そばの実の粥はよその国にはないロシアンフードだ。ユーラシア由来のペリメニ〔ロシア風水餃子〕も、いまやロシア的なものとしか言いようがない! お茶はロシア的飲み物になったが、コーヒーはそうはならなかった。ものの本によると、北方ロシアでは、チュクチ人から地理学者まで、だれもがお茶を飲み、ときには強制収容所式の特製ロシア茶「チフィール」〔異常に濃く煮出したお茶で、麻薬のような中毒性がある〕を飲んでいるという。アルコールは言うまでもない。ジャック・ロンドンの採金者は、ユーコン川にもコーヒーとウィスキーを持って行ったのだ……。 「セリチ сельдь」には、弱化し、末尾が省略された音節を示す軟音記号〔ь〕がふたつもあって、ぼくが気に入っている言葉のひとつだ〔「ь」は子音の後に置かれ、直前の硬子音を軟化させる働きを持つ。発音上は弱化した「イ」のような音が付与される〕。「セリチ」には、雄々しい北の海辺、沿海州の塩味が響いている。「トゥヴェルチ твердь〔固い基盤〕」「スーチ суть〔本質〕」「プローチ плоть〔肉体〕」 「ペルミ Пермь」「スメルチ смерть〔死〕」「スピルト спирт〔アルコール〕」(アルコールは北のロシアの飲み物なので、ここには軟音記号をつけて「スピルチ спирть」としておきたい)と同じだ。「セリチ сельдь」は音からすると「フィニフチ финифть〔古代ロシアのエナメル〕」「メーチ медь〔銅〕」「ネフチ нефть〔石油〕」と近しい。この言葉は考古学者が発掘したやじりに似ている。言葉は、正しく扱えば物質文化における事物よりも長持ちするが、使わずにいると跡形もなく消えてしまう。言語は常に更新され、古いファイルが消去されるからこそ貴重な歴史の記録となる。構造上はどうしようもなく古びてしまったように思われても、サンフランシスコの丘にあるビンテージものの「ケーブルカー」――エキゾチックな路面電車――のように、言語にしがみついて離れない言葉もある。そうした言葉には、セリョトカの細くてナイロンみたいな骨と同じで、じっくり味わい、舐め尽くしたいと思わされる。ほかのものはすぐに消えてしまう。言葉は、古いぼろぼろの写真のように丁寧に取り扱わなければならない。 「セリチ」は、古く、研ぎ澄まされた重みのある言葉で、ロシア語に同化し、ロシア化して親密になったが、軽率で俗っぽい「セリョトカ」とは趣を異にする。それが「セリチ」と呼ばれていたころは、生命を支える手段、重労働の産物として、敬意が払われていた。いまはだれも「セリチ」とは言わず、「セリョトカ」と呼ぶようになっているので、語彙の定義も変更するよりほかないだろう。「сельдь」には「уст.(旧)」あるいは「офиц.(公)」という傷痍の印を入れて、「селёдка」のほうを辞書の見出し語にするべきだ。言語には固有の生命があるのだから。マーケティングではこれを敏感にキャッチして、缶詰のラベルには「牛肉の蒸し煮(ゴヴャジナ・トゥションナヤ)」「加糖濃縮乳(ズグションナエ・モロコ・ス・サハロム)」ではなく、「トゥションカ」「ズグションカ」というポピュラーな俗語が用いられている。「ズグションカ」という言葉でぼくたちが想定するのはあの、缶入りの甘いやつで、だれかがなにかのために凝縮させた牛乳ではないし、「トゥションカ」といえば、肉の缶詰で、それ以上のなにものでもない。 科学アカデミー会員の言語学者ザリズニャクは、ロシア人が「セリチ」をスウェーデン人から借用したと言っている。とくに驚くべき語結合は「сельдь-иваши セリチ・イワシ」。果てしなく遠いスウェーデンと日本の合体。しかも、合体させたのはぼくたちロシア人なのだ。言語はオルタナティブな世界の海だ。 [……]「セリョトカ」はじっさいにはどう呼ばれているのだろうか。 こどもの頃、父はぼくを「セリョトカ釣り」に連れて行った。ウラジオストクの街は、ピョートル大帝湾のなかに巨大な戦艦のように突き出ているのだが、湾の全体が、モーターボートや「猫背(ゴルバチ)」型の小型船舶から、大型の外洋船まで、船でごった返している。ぼくたちは、学術研究艦隊の「アクアマリン」号で海に出た。この船がまだ、自動車売買業者へのレンタルサービスもやっていなかった頃のことだ。先進的な船長の船には魚探があって、魚群の真上に船を止めて、鱗と筋肉のある銀を水中から汲み取ることができた。甲板から、重い鉛や銅のおもり、古時計のおもりに似た円錐がついた何十もの釣り糸が、こんがらかったりしながら垂れている。釣り針にセリョトカの頭だけがかかっていたことがあった。残りの部分は、針にかかった後に、「セリディエヴシカ」と呼ばれる、ニシンを食べるサメに取られたのだ。